- 偽善と本物の愛(人類愛)
世の中には様々な人がいますが、通常、親と子の関係は健全です。自分の親と一緒にいて気持ち悪さを覚えることはまずありません。何故なら、親は自分の子供を無条件に愛しているからです。
ところが、他人の子供となると事情は異なります。無論、自分の子供と同じように他人の子供を愛する人もいます。しかし、そうできない人も少なくありません。
A君とB君は仲の良い友達です。A君は成績優秀で生徒会長も務め、周囲から一目置かれる存在です。一方、B君はスポーツは得意ですが勉強は苦手です。しかし、B君の母親は教育熱心で、B君を進学塾に通わせ、将来は父親の跡を継いで医師になってほしいと願っています。
ある日、A君がB君の家に遊びに行きました。B君の母親はジュースやお菓子を出して歓迎し、「A君はすごいね。どうやって勉強しているの?」と尋ねます。一見ごく普通の気配りのある対応に見えます。しかしA君は、自分の親からは感じたことのない“違和感”を覚えました。その正体は、B君の母親が自分の子供より優秀なA君に対して抱く密かな対抗心だったのです。
職場で自分の子供の写真を見せて「かわいいでしょう?」と言う人も、心の構造は同じです。自分の子供を愛することはある意味当然のことです。世界中の誰もがそうします。自分の子供は自分の分身であり、自分の子供を愛することは自分を愛することと同じだからです。それは本当の愛とは言えません。本当の愛とは、自分の子供も他人の子供も分け隔てなく愛することです。
しかし、他人の子供に優しくする人の中には、「子供嫌いと思われたくない」「優しい人だと思われたい」という理由で行動する人がいます。そのような人は、自分の子供なら叱る場面において、他人の子供には叱らずに黙ってやり過ごします。叱ったことで後々面倒なことに巻き込まれるのを避けるためであり、結局のところ自分のための優しさであり、偽善にすぎません。
また、優しくしているつもりが、実は高慢さにつながり、相手を駄目にしてしまうこともあります。
Cさんはいつも人の輪の中心にいる人気者です。一方、Dさんは引っ込み思案で人と話すのが苦手です。あるとき、輪に入れずに立っているDさんに気づいたCさんは、「Dさん、こっちに来たら?」と声をかけます。周囲から見れば、Cさんは気配りのできる優しい人です。しかし、この行為は必ずしも本物の愛ではありません。Cさんは、Dさんを自分より下に見ているからこそ「助けてあげる」という構造が成立します。そしてDさんは、Cさんが手を差し伸べることで、自ら輪に入る機会を奪われ続けます。
ここでの優しさは自己満足であり、時に相手の成長を奪うことにもなるのです。本当にDさんを愛するなら、優しさだけで終わらせず、必要なときには敢えて手を差し伸べないことも愛の一形態です。
世の中には、自分が優しくされたいから人に優しくする人、愛されたいから人を愛する人もいます。しかし、これも本物の愛ではありません。本物の愛は、相手からの見返りを求めません。まさに無償の愛なのです。
本物の愛を実行する人は、自分を犠牲にしてでも相手のために行動します。たとえ相手から憎まれたとしても、その人にとって最も触れられたくない真実を伝えます。人は一番言われたくない真実を言われ、それに向き合ったときにこそ、本当の意味で成長するからです。
もちろん、言っても相手がそれを理解するとは限りません。むしろ伝わらないことの方が多いでしょう。煙たく思う人もいるでしょう。あるいは、離れていく人もいます。本当のことを伝えるには、人が想像する以上のエネルギーを要します。言う側にとってメリットは何一つありません。言わない方が遥かに楽です。それでも、真の指導者は本当のことを言います。真にその人の発展と幸福を願っているからです。
もし、あなたの周りに、あなたに本当のことを言ってくれる人がいるならば、それは最大の幸福です。そして、あなたも、他人に対して真の愛から本当のことを言えるようになれば、本物に近づくことができるでしょう。
「今日の学び」に記す内容は、すべて生井利幸先生より日々賜る学術講義に基づき、弟子の私、竹内差世がまとめております。
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