【今日の学び】褒められると勘違いするという心の病

褒められると勘違いするという心の病

 ある映画のワンシーンに、数学の天才である若者が、数学のノーベル賞と評されるフィールズ賞を取った教授の目の前で、その教授ですら解けない難問をいとも簡単に解いたメモを、ためらいなく燃やしてしまう場面があります。教授は、その若者の才能が自らの存在意義を脅かし、プライドを打ち砕くほどのものだと感じながらも、心から称賛し、その才能を埋もれさせたくないと願っています。しかし、若者は教授に向かって、「自分にとっては退屈でくだらないものだ」と言い放ちます。教授はひざまずき、燃えるメモを手に取り、必死に火を消そうとするのです。
 このシーンから何を感じるでしょうか。
 人間の能力など、見るところから見れば大差ありません。ところが、私たちは他人から褒められたり、周囲からもてはやされたりすると、自分が特別な存在であるかのように錯覚してしまうことがあります。例えば、アメリカのMITの学生が、オレゴン州のレストランで「どこの大学?」と聞かれ、「MITです」と答えると、店員は目を輝かせ「すごいのね」と言います。すると学生は、ごく普通のどこにでもいる若者であるにもかかわらず、自分はすごいのだとその気になってしまうのです。これは一種の心の病です。
 本来、人間は、学問の前で謙虚であるべきです。学問を深めれば深めるほど、自分がいかに何も知らないかを思い知らされ、本当の学問の道とは、英知探究の道ではなく、自らの無知を知る道なのだと気づきます。そして、それこそが、本当の知の歩みなのです。
 プラトンの二元論で言うならば、私たちが新たに発見したと思うものも、実は元々存在していたものに触れただけにすぎないのです。
 黒澤明監督は、アカデミー賞を受賞したときのスピーチで「私はまだ映画のことがよくわかっていない」と言われ、周囲を沸かせたことでも知られます。これは、監督が真の探究者であるからこそ到達した境地なのでしょう。
 広大な宇宙の存在から見れば、人間が一生かけて知ることができるものは、ほんのわずかです。人間は、宇宙の中に浮かぶ小石(地球)の表面に付着した埃のような、ちっぽけな存在にすぎません。その真実を心から実感できたとき、ようやく本当の知の探究の道に入ることができるのです。

「今日の学び」に記す内容は、すべて生井利幸先生より日々賜る学術講義に基づき、弟子の私、竹内差世がまとめております。

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