- マフィア映画から学ぶ人間の本性
映画の舞台は、1970年代初頭のニューヨークのブルックリン。マンハッタン島の西にはハドソン川が流れ、川の向こうはニュージャージー州、東はイーストリバーでブルックリンはその川を渡ったところにあります。今では芸術家たちが移り住み、アーティスティックな街として知られていますが、その頃はまだスラム街でマフィアが街を横行していた時代でした。映画では、子供のころからマフィアの世界を見て育った少年が、マフィアに憧れてその世界に入っていき、どのようにしてマフィア組織の中で地位を確立していったのかという過程や、周囲の様々な人々の生き様などが時代背景とともに描かれています。
ところで、人間の思考の道筋には、演繹思考と帰納思考の大きく二つがあります。演繹思考が、最初に完全無欠な考え方があり、そこに個々の具体的事例を当てはめていくのに対して、帰納思考は、個々の具体的事例から入って答えを導いていきます。ドイツ人や日本人は前者が多く、アメリカ人は後者が多いと言われます。マフィアに憧れる少年は、まさに、日々の現象の連続が自分の生きている世界であり、その様々な現象の中から自分なりの答えを模索しながら育っていくのです。
その映画に登場するマフィアの一人に、皆の前でからかわれたり、少々気に障ったりしただけで、カッとなって相手を殺してしまうシーンが何度か出てきます。「えっ、そんなことで簡単に人を殺してしまうのか」と誰もが思うシーンです。
しかし、実際に手を出さないだけで「この人さえいなければいいのに」という感情(殺意)は誰もが一度は経験したことがあるでしょう。その程度は人によって違いがあっても、人を憎んだり排除したいと思うことは誰の心の中にも起こり得るものなのです。そして「この人さえいなければいいのに」という感情と、映画の中で、ちょっとしたことで相手を憎み殺してしまう人の根底にある感情には共通するものがあります。どちらも同じ延長線上にあり、その一線を超えるかどうかの違いです。
普通の社会生活を送っている人は、自分の心の中で思うだけで踏みとどまり、実際に行動には移しません。なぜなら実際に行動に移してしまえば、逮捕され社会的制裁を受けることになると分かっているからです。
ところが、人間は、法制度や社会規範による抑制が働かない環境では、映画に出てくるマフィアのように感情に任せて人を殺してしまうことがあります。殺人とは限りません。法律上の罪に問われなくても、自分本位な理由から他人を傷つける人がいます。これは、人間の本性(ほんせい)の一つであり、真実です。
例えば、大学教授が自分の気に入らないことを言った若手の研究者を、皆の前で恥をかかせて研究の場に居られなくする。会社組織において、気に入らない部下や業務上ノーと言いにくい立場の人に対して、無理難題を押し付ける。これらの行為は、自分本位な理由で、相手を排除したり傷つけたりするという非理性的な行為であり、自尊心を傷つけられたときに相手を拳銃で撃つマフィアの一員と根底にある心理は共通しています。
相手を憎いと思う感情は誰にでも起こり得るものです。しかし、その感情に流されるのではなく、善悪を判断し、理性的に生きることができるのもまた人間です。大切なのは、自分の中にもそうした本性が存在することを認識し、自分を律し続けることです。人間を知り、自分を知り、その上で人として正しく生きようと努めることに意味があるのだと思います。
「今日の学び」に記す内容は、すべて生井利幸先生より日々賜る学術講義に基づき、弟子の私、竹内差世がまとめております。
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