【今日の学び】無か空かで学びの質が大きく変わる

無か空かで学びの質が大きく変わる

 何かを学ぶとき、あるいは学び直すとき、「自分を無にするとよい」「ゼロから学び直したほうがよい」と言われることがあります。これは、固定観念や我を捨てて、まっさらな状態で学びに向き合うということです。無になることで、学ぶ内容がそのまま自分の中に浸透していきます。
 ところが、無になったはずなのに、なかなか吸収できないことがあります。これは、本人は“無になったつもり”であって、実際には無ではないことが原因です。この状態を‟空“と呼びます。
 無と空は、一見するとどちらも何もないように感じられますが、学びの吸収には決定的な差が生じます。無とは文字どおり何もない状態であり、空とはグラスの中の水を捨てただけで、グラスという枠が残っている状態です。この枠こそが、固定観念や我であり、吸収の妨げとなります。
 例えば、スキーを自己流で続けてきた佐藤君と、まったくの初心者である鈴木君がプロのコーチから指導を受けたとします。佐藤君は自己流の癖が抜けず、正しい滑り方を身につけるのに苦労します。一方、鈴木君は何も持っていないため、教えがそのまま吸収され、あっという間に上達します。鈴木君は無の状態で学び、佐藤君は空の状態で学んでいるのです。
 子供の吸収が早く、大人がなかなか吸収できないのも同じ理由です。子供は純粋無垢で枠がないため、学んだことがそのまま入ります。逆に大人は固定観念や経験が枠となり、吸収を妨げてしまいます。
 芸術鑑賞において、作品の本質を感じ取れるかどうかも同様です。オペラ鑑賞で最初はストーリーを見ず、音楽から入るとよいと言われるのは、物語という枠に囚われてしまうと、音楽に内在する本質が見えなくなってしまうからです。絵画鑑賞でも、美術館で解説を一生懸命に読んでいる人がいますが、そうすると解説という先入観を通して作品を観ることになり、本質を自分で感じ取ることの妨げになります。
 このことは学問においても同じです。もし、あなたが本物の教授者に出会うことができたなら、それは幸いなことです。空ではなく無になる。この学びの姿勢こそが、これまで到達できなかった新たな境地へと、教授者が真に導きたい境地へと案内してくれます。

「今日の学び」に記す内容は、すべて生井利幸先生より日々賜る学術講義に基づき、弟子の私、竹内差世がまとめております。

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