今日の学び

生井利幸先生から、日々、多くの耳学問(注)を教授いただきます。それらは、一般的な学校では学べないこと、教科書にも記されていないことです。本ページでは、それらの学びの一端を「今日の学び」として、少しずつご紹介して参ります。

(注)「耳学問」とは、大教室でテキスト通りの方法で学ぶ方法ではなく、学習者が直接、教授者から、「難しい学問について、学習者にとって最も妥当な方法で学ぶ方法」を指します。

世の中は謝罪で成り立っている
 コミュニケーションの達人でもある生井先生は、「世の中は謝罪で成り立っている」と言われます。わかりやすく言えば、資本主義経済社会においては「謝罪の仕方がお金の流れを左右する」ということです。先生は企業の社長や役員の方などから講演を依頼される際、「謝罪の方法を内容に含めてほしい」という要望を受けることが多いそうです。その対象は、営業の第一線で長年経験を積んできた部長職や課長職の方であるといいます。
 ここで、少し想像してみましょう。あなたの会社の取引先であるA社とB社がそれぞれ問題を起こし、両社の営業部長が謝罪に訪れました。以下がその謝罪内容です。あなたなら、次回の取引ではどちらの会社に声をかけますか。

A社の謝罪: 
 「このたびは、XXの件で大変ご迷惑をおかけいたしました。全社を挙げて対応しておりましたが、本当に申し訳ございません。ただ、弊社の担当が御社のために連日徹夜で取り組んでいたことは、どうかご理解ください。」

B社の謝罪:
 「このたびは、XXの件で大変ご迷惑をおかけいたしました。すべては弊社の力不足、管理不足が原因です。担当も真摯に受け止めております。二度と同様のことがないよう管理方法等を見直しいたします。本当に申し訳ございませんでした。」

 A社の謝罪は一見丁寧に見えますが、よく読むと弁解が含まれており、「徹夜で取り組んだ」という言葉は、相手への配慮というよりも自社の事情を理解してほしいという自己保身の表れです。相手からは、「だから許してほしい」と受け取られかねません。一方、B社の謝罪は、一切の言い訳無しに全面的に非を認めたうえで、信頼回復に努めようとする誠実な姿勢が伝わってきます。

 生井先生は、「謝罪を行うときは、謝罪に徹すること」が鉄則だと強調されます。謝罪が必要な場面では、できるだけ早く謝罪すること。そして謝罪の際には、相手に対して深々と頭を90度下げ、誠心誠意謝罪することが大切です。これはビジネスに限らず、ご近所付き合いやプライベートにおいても同様です。謝罪の言葉に少しでも言い訳や自己保身が混じると、それはもはや謝罪とは呼べず、相手に不快感を与え、かえって信頼を損なうことになります。

 「コミュニケーションの真髄は、心と心の交流である」、「言葉は、自分の目の前の相手を幸せにするために使うもの」・・・これは、先生の基本の教えの一つです。謝罪もコミュニケーションの一つ、誠意をもって相手の心に寄り添うことこそが真の謝罪なのではないでしょうか。