【今日の学び】英語圏に長く住んでも、英語は喋れるようにはならない

英語圏に長く住んでも、英語は喋れるようにはならない

 先に英文法の習得について述べましたが、無論それだけで英語を喋ることはできません。英語は難しい言語です。
 ところが、街のあちこちで「1日たった5分で英語がペラペラになる」など、さも簡単に英語を習得できるような商業的なキャッチフレーズを見聞きします。そして、多くの人はそれに飛びつきます。しかし、冷静に考えると、そのような簡単な道はありません。
 英語には、「読む」「書く」「聞く」「喋る」という4つのファクターがあります。中でも「喋る」はとりわけ難しい行為です。例えば、5年や10年英語圏に住んだからと言って、英語を自在に喋れるようになるわけではありません。確かに5年もいれば、買い物をしたり、レストランで食事をしたりと、日常生活には困らない程度に喋れるようになります。しかし、実際に5年住んでみて痛感するのは、「5年住んで仕事をした程度では英語はわからない」という事実です。
 日本人によく見られる例として、5年間の転勤でアメリカに在住した田中さんの話があります。帰国後、周囲から「田中さんは5年もアメリカにいらしたのですね。きっと英語もすごいのでしょう」と言われると、「ええまあ、最初はどうなることかと思いましたが、何とかなるものです」と答えます。
 ところが、相手から「先日、アメリカの大統領とアジアの首脳陣が経済状況について議論していましたが、田中さんはどうお考えですか?」と問われると、「いや、ああ、そうですか。そのことはあまり詳しくありません」としどろもどろになります。また、「末期癌の患者さんの治療方針について検討する機会があったのですが、人間の尊厳性についてどのようなお考えをお持ちですか?」と尋ねられると、「私は医者ではないので・・・」と答えてしまいます。
 このように、相手が知らないと思って大風呂敷を広げてしまうのですが、実際には英語をしっかり理解し、深い話題を喋れるようにはなっていないのです。しっかりとした英語を習得するには、それなりの教養が必要です。教養を身につけることなく、どれほど長く英語圏に住んでも、英語を本当に習得することはできません。
 人間は通常、何らかの行動をするとき、地域性の中で自分を中心に置き、必要な範囲内で行動します。行動の範囲を図で表すなら、限られた小さな円の中で行動しているのです。しかし、教養人と呼ばれる人は、その小さな円を外側の巨大な枠から捉えます。普遍的な立ち位置から自身の行動を客観的に捉え、過去と未来を同時に考えながら、極めて繊細詳細に、注意深く行動します。
 これは行動だけではなく、人の話を聞くときも、自分が喋るときも同じです。巨大な枠から、全体から見て物事を捉えることができると、行動の質が変わります。そして意外と難しいのが、全体を見て「聞く」ということです。先ほどの田中さんが質問されてしどろもどろになったのは、自分が想定していないところから質問をされ、目の前が真っ暗になったからです。
 自分が行っていることだけでなく、関係することにも関心を広げて学ぶことは、学際研究とも呼ばれ、実は学問の基本です。しかし、学者であっても、それができる人は多くはありません。
 私がアメリカにいたとき、現地で掲載された私のコラムを読んだ高齢の日本人女性から連絡がありました。彼女は、国際結婚をして40年以上アメリカに住んでいますが、その間に相当な苦労があったと言います。そして、「主人の関係の偉い人が家に来るときの接待が嫌で仕方ないのです」と言うのです。理由を尋ねると、「何もわからないからです」という答えが返ってきました。
 このとき、私は彼女を正直な人だと思いました。実際、彼女は英語を喋れるのですが、「喋れない」というのです。しかし、それこそが、道を通った人がたどり着く境地なのでしょう。学問と同じで、「やればやるほど、自分が無知であることがわかる」のです。そして、言葉はそれを発する人そのもの、一生かけて磨いていくものなのです。

「今日の学び」に記す内容は、すべて生井利幸先生より日々賜る学術講義に基づき、弟子の私、竹内差世がまとめております。

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