【今日の学び】多くの病気の原因は、自分自身がつくっている

多くの病気の原因は、自分自身がつくっている

 アメリカは訴訟社会と言われますが、医療も例外ではありません。近年、日本でもセカンドオピニオンという言葉が浸透しつつありますが、アメリカでは二つどころか三つ、四つ、ときには五つの病院を回ることも珍しくなく、患者自身が複数の意見から最適な治療方針(中間)を選ぶことが一般的です。理由は、医師によって診断や治療方針が大きく異なるためです。とりわけ鬱病や認知症などの精神疾患は、どこからが病気でどこからが病気でないのかの線引きが難しく、本来必要のない薬を処方され、服用しているケースも少なくありません。実際、アメリカでの医療過誤による訴訟は、日本人が想像する以上に多くあります。
 こうした背景もあり、アメリカの医学部では医療倫理よりも先に「どのようにすれば訴訟を起こされないか」を教えます。本来、医師を志す者にはまず倫理を教えるべきと考えますが、それはアメリカ、日本ともに十分とは言えず、現場の医師の倫理観には大きな差があります。残念ながら、多くの医師は病気そのものには関心があっても、患者という人間への関心は薄いのが現実です。もちろん、すべての医師がそうではありません。経験豊富で患者と真摯に向き合う医師もいます。患者から信頼される医師は、自身も病気を経験していることが多く、机上の学問だけでは到達できない領域があることを理解しています。これは医師に限らず、どの職業にも言えることです。
 このような現実を理解している人の中には、病院に頼らず、自力で治せるものは自分で治す人もいます。心の病は時間がかかりますが、何年もかけて自ら回復する人もいます。もちろん、病気にならないのが一番です。しかし、誰もが年を取ると必ず病気になり、いつか終焉を迎えます。これは避けられないことです。ただ、その中でも、若くしてなる病気の多くは、自分自身が原因を作っています。生活習慣病や鬱病などの精神疾患はその代表例です。
 だからと言って、美味しいものを食べてはいけないとか、病気にならないように節制ばかりの生活を送るというのもまた違います。大切なのは、人間の生は快楽のためにあるのではなく、人として善く生きるためにあるということです。授かった身体と知能を、自分のためだけに使うのではなく、他者に笑顔を齎すために、人間社会の幸福のために使うとき、受けた生に本当の価値が生じます。食事はそのためのエネルギー源にすぎません。
 また、生きていれば誰もが悩みを抱えています。悩みのない人などいません。明るく見える人ほど、実際は多くの悩みを抱えているものです。もし、苦しいと感じる時があるなら、自分を雑草だと思ってみるとよいでしょう。雑草は、踏まれても、引き抜かれても、また芽を出します。さらに、人は生まれたとき何も持っていません。そして、この地球に別れを告げるときも、ボールペン一本持っていくことはできません。つまり、最初から何もないと思えば、失うことを恐れずに生きられます。
 結局のところ、健康に生きる秘訣は、自分のためだけに生きないことです。他者のために生きようとすると、自然と健康・健全な生き方ができるでしょう。

「今日の学び」に記す内容は、すべて生井利幸先生より日々賜る学術講義に基づき、弟子の私、竹内差世がまとめております。

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